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出歩く先で出会った地形や神社仏閣について、また古地図を眺めてわかったことなどを書いていきたいと思います。
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2026年3月末で失われる笹塚ロッテリアを訪ねる その2
この記事で、消滅するロッテリアを訪れたのでした。
これで終わりのつもりだったのですが、たまたま近くに行く機会があったのでもう一度行ってきました。
今回は前回食べられなかったリブサンドポークが売っていました。


リブサンドポークはファンが居るだけあって、確かに美味しいです。味はわりとマックポークに近いかもしれません(マックポークも久しく食べていないのでうろ覚えですが)。甘めのソースと胡椒がよく合っています。ゼッテリアでも期間限定で復活するとかしてほしいものですね。
ということで、ロッテリア訪問記第2弾でした。
2026年3月末で失われる笹塚ロッテリアを訪ねる
ロッテリアが2026年3月末をもって完全に消滅してしまいます。
そして2026/03/19現在、都内に残っている店舗は京王笹塚店と光が丘のイオン練馬店のわずか2店舗のみとなってしまいました。
閉店前に笹塚店に行ってみることにしました。
笹塚店に訪れるのは初めてです。
(実は先日別件で光が丘を訪れて、練馬店の前を通ったのですが、そのときに立ち寄らなかったことが悔やまれます)
メニュー選び
多くの商品がゼッテリアに受け継がれるようですが、中には受け継がれない商品も存在します。
名前が同じでも中身が変わってしまう商品もあるようですね。
失われる「リブサンドポーク」が気になったのですが、残念ながら販売休止となっていました。材料がもう残っていないのかもしれませんね。
同じく「絶品ベーコンチーズバーガー」を頼んでみました。セットにして、ポテトはふるポテのバターしょうゆ風味に変更します。
合計1030円でした。

実食
実食と言っても、全然写真を撮らなかったので、見せられるものがなにもないのですが。
ロッテリアに来るのはかなり久しぶりです。ひょっとすると10年振りくらいかもしれません。
絶品ベーコンチーズバーガーは濃厚なチーズが美味しかったです。大昔に食べた、プレーンな絶品チーズバーガーの味を思い出しました。変わらず美味しかったです。ベーコンも良い味を出していました。絶品チーズバーガーはゼッテリアでは味が変わってしまうようで、少し残念ですね。
続いてふるポテ(バターしょうゆ風味)です。個人的には、ロッテリアといえばふるポテという印象なんですよね。子どもの頃、普通のポテトとは違った風味がとても嬉しかった思い出があります。久しぶりに食べても美味しかったです。ただ、少し味が濃く感じてしまいましたね。あと、ふるポテ振るときに結構音が出るのが少し恥ずかしかったです。
そして、食べるまで全く思い出さなかったんですが、ふるポテって食べると指に粉がすごく付くんですよね。子どもの頃、最後に指についた粉を舐めていた記憶が蘇りました。流石に大人になったのでやりませんでしたが。
店舗写真
店舗の写真は撮っておいたので、載せておきます。





店内時計です。これも失われてしまうのでしょうね。


終わりに
というわけで、ロッテリア訪問記録でした。最後に行けてよかったです。
追記
第2弾の記事を書きました。
廃止される小田急バス仙01系統に乗る
仙川駅から三鷹台駅までを結ぶ小田急バス仙01系統が2026年3月31日をもって運行を終了します。
なくなる前に乗ってきた記録です。
仙01系統
時刻表は以下のとおりです。一日に5本しか出ていないんですね。
路線図は以下です。
実際に乗車します。仙川駅から乗車します。
コミュニティバスに使われるような小型の車両です。
バス車両の写真をあまり撮らなかったことにあとから気づきました。(準備不足でした、慣れないことをするときは、ちゃんと準備するべきですね…。)
仙川駅を出発して、「おらほ橋」、「宅添橋」を経由して「白百合女子大学入口」に向かいます。「おらほ橋」、「宅添橋」は仙01でしか使われていないバス停なので、バス停も廃止になってしまうのでしょうね。
ここから「コミュニティセンター入口」までは吉祥寺行きの吉03と同じルートです。
そこからは天神山通りに入っていきます。


西友三鷹牟礼店あたりまで天神山通りを進みます。
西友三鷹牟礼店の前で右折して、三鷹台駅前通りを道なりに進めば三鷹台駅です。途中で玉川上水を渡ります。


三鷹台駅バス乗り場
乗り場はこちらです。仙01系統とみたかシティバスが出ているのですね。仙01系統が廃止されると寂しくなりそうです…。







三鷹台駅
こちらが踏切です。


上の橋は何かというと、道の反対側から駅に行くための歩道橋になっています。少し変わった作りに見えますね。



歩道橋からの眺めもなかなか良いです。線路が神田川に沿ってカーブしているのが良いですね。
駅にはステンドグラスもあります。

駅周辺
近くを神田川が流れています。






坂道が良い味を出しています。





近くには立教女学院があります。1930年頃のJ・V・W・バーガミニーによる建築が残っているようです。外から見るだけでも素晴らしい建築です。いつか機会を見つけて入ってみたいものです。
新美の巨人たち「聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂」回でも取り上げられていました。
女子校ということで写真を撮るのがはばかられるのですが、無人の正門だけなら良いだろうということで一枚だけ。

古そうなお店たち。



その他、三鷹台駅前通りの方向の気になるものたち。
玉川上水の橋。


牟礼神明社を下側より。

駅を背にして道の左側。多分暗渠だと思います。

YOKOHAMA中華そば かみ山
ランチはかみ山のサンマー麺でした。人気店らしく、行列こそなかったものの席は常に満席でした。

関連リンク
仙川あげ堀の暗渠
2025年1月頃の写真をもとにした記事です。
以下の記事の写真を撮ったときに周辺を探索していたところ、なかなか良い感じの暗渠を見つけました。
どうやら以下の本『東京暗渠学』でも紹介されている、「仙川のあげ堀」に当たるようです。
あげ堀とは
『東京暗渠学』においては、
川沿いの谷戸に拓かれた水田に水を引き込むための水路
とされています(p.63)。
写真













「あげ堀」という言葉について
あまり聞いたことがない単語ですが、一般的な用語なのでしょうか。私が調べた辞書には載っていませんでした。国立国会図書館デジタルコレクションで調べてもあまり見つからないのですが、数少ない用例として以下が見つかりました(p.65)。
堰から水を通す小川(水路)のことをアゲボリ「あげ堀」という。
一般的とまでは言えないようですが、一部では使われる用語のようです。
あとがき
再度説明しておくと、2025年1月頃の写真をもとにした記事です。
随分前に下書きした記事で、本当はもう少し詳しく書きたかったのですが、いつまで立っても完成しないので公開してしまいました。気が向いたら更新します。
紀尾井町の弁慶橋
赤坂見附駅近く、紀尾井町の弁慶橋です。

案内板がありました。

もともと岩本町のあたりを流れていた藍染川に弁慶橋という橋があり、その橋の廃材を使って架けた橋なのでこちらも弁慶橋と呼ばれているのですね。さらに弁慶といっても源義経の武蔵坊弁慶とは関係ないようで、元の橋を弁慶小左衛門という人が架けたことから名付けられたということです。
近くには紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡の碑もあります。

釣り堀もあって、のどかな雰囲気です(写真を撮り忘れたのでストリートビューで)。
昔の写真や絵
大正時代の写真を見つけました。
こちらは昭和時代の絵。
Wikipediaにも昭和の写真があります。
擬宝珠について
擬宝珠とは、柱の上についている玉ねぎみたいなものです。これも写真を取りそこねました。
上の案内板にも書いてあるように、昔の弁慶橋では他の橋から古い擬宝珠を集めて使っていたようです。
現在はどうなっているのでしょうか。案内板では「意匠を継承」と書かれているため、古い擬宝珠は使われていなそうです。他のWebサイトで古い案内板の写真を見つけました。
「現在は、それら古い擬宝珠は用いられていません。」とありますね。残念です。使われていた古い擬宝珠は廃棄されてしまっていてもおかしくなさそうです。
元の弁慶橋について
そもそも藍染川の弁慶橋はどのあたりにあったのでしょうか。
以下のサイトによれば、岩本町のあたりにあったようですね。
こちらのサイトも面白いです。
筋違いになっているところに架かった橋だったので、少し変わった形をしていたようです。橋の名前の由来は他にも説があるということも書かれていて、面白いです。
場所はGoogleマップにも乗っていました。
今の場所からは全然近くもないのが、少し意外に感じました。
給田の京王線立体交差の謎
京王線の千歳烏山駅と仙川駅の間、世田谷区給田のあたりに線路の下を潜る道があります。
名前がないので呼び方に悩みます。トンネルと呼べないこともないのですが、とりあえず立体交差ということにしておきます。


周囲はだいたい踏切になっているのですが、ここだけが立体交差になっていて、少し不思議な感じがします(厳密に言えば歩行者用の地下通路は他にも存在しますが)。
こちらがどのような成り立ちでできたのか、気になってしまいました。線路下をくぐらせるために、道路を深く掘り下げたのでしょうか。それとも元から土地が低かったので、線路下をくぐる形にしたのでしょうか。
周辺状況
北側の写真です。谷状になっています。

同じく北側の逆側から。

地図で地形を見てみます。見事に道の部分が谷になっていることがわかります。
しかし現在の土地の状態でしかないので、これでは立体交差ができた過去の経緯はわかりません。
古地図
古地図を見てみます。まずは今昔マップ。
今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)
明治時代、京王線ができる前からこの道が存在していたことがわかります。この道は前後も含めて、明治時代からほとんど変わっていないようですね。
ちなみに1917-1924年の地図で見ると、すでに京王線が通っています。1916年には新宿・府中間が開通していたようです。
前史(1910~1948) | 会社情報 | IR・企業情報 | 京王電鉄
当社の前身である京王電気軌道株式会社は、1910年9月に設立され、3年後の13年4月に笹塚~調布間が開通しました。その後、順次路線を延伸、1916年10月に新宿~府中間が開通、(後略)
open-hinataで明治の迅速測図も見てみます。



ちょっと見えにくいですが、赤い線が45mの等高線のようです。下に青い線が書かれているのが川ですから、そちらが低い側です。これで明治時代、京王線が通る前から谷になっていたことがわかりました!(少し点の位置がずれてしまっていますが、何らかの原因による誤差と考えて良いと思います。)
推測される結論
京王線が通る前から谷を通る道があり、その谷が立体交差になったようです。
古地図の等高線や現代の標高図を見ると、この道は、崖の下を辿るような形で明治時代以前から変わらず存在しているようです。実際この道を北側に進んでみると、道のすぐ左側が坂になっていました。
この谷がどのように形成されたのかは想像するしかありません。台地に刻まれた谷になっていること、近くに仙川が流れていることから、かつて仙川に流れ込む支流が削った谷戸地形といったところでしょうか。
おわりに
ここまで古地図と真剣に向き合ったのは初めてかもしれません。歴史を紐解きながら謎を調査するのは面白いものです。
古地図や標高図を眺めることで、様々なことが推測できることがわかりました。みなさんも疑問に感じたことがあれば、古地図を眺めてみるのはいかがでしょうか。